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研究の目的と本論文の構成

与えられた要求に対して,それを満たす具体的な人工物を実現する設計過程には, 一般に概念設計,解析,詳細設計,生産設計の時間的段階がみられる. 概念設計段階で与えられる設計仕様,制約条件は, 詳細設計等でみられるような設計解を一意に定める強いものではなく, 設計候補には多くの競合が生じる. このとき,設計者による競合候補の評価,選択にあたっては 設計者自身の主観的価値観が大きく関わっており, そこで用いられる発見的,経験則的な設計知識の多くは 明確な論理としての記述が困難である. また,概念設計段階では, 設計過程の後の段階で考慮されることが少ない 美観等に代表される感覚的側面からの評価が,大きな課題のひとつとなる. 設計者が行っている設計候補の生成については,その多くは, 全くの新規設計候補の生成ではなく,与えられた設計要求を鍵に, 設計者が持つ知識・経験から無意識的に検索された事例解の修正による 類似設計であるといえる. しかしながら, 既存の設計事例に基づいていても, 設計者による論理の飛躍や発想などの非定型な情報処理, たとえば問題領域の異なる設計事例の組合せといった操作によって, 生成候補に新規性が生じ得ると考えられる.

このような定性的,非定型的な概念設計のコンピュータによる支援では, 設計者の主観的価値観が大きな役割を果たしていることから, 解析,詳細設計で行われるようにコンピュータが 設計過程を強く駆動するのではなく, 意思決定の主体を設計者本人におく設計アシスタントとしての コンピュータシステムの実現を目指すアプローチが妥当であると考えられる. 設計アシスタントシステムとしてのコンピュータの役割は, 価値観を設計者に適応させながらも完全な一致を目的とはせず, 異なる視点を持つ設計者からの候補提示を模擬することにより, 支援対象とする設計者に刺激を与えることである. このようなシステムが支援の対象とする設計者は, 自らの主観的価値観を持つ者であり, 定型的作業者としての設計者ではない. したがって,このアプローチでは, 設計過程の後の段階で可能な定量的,定型的側面の支援による 設計自動化,省力化のアプローチとは異なり, 設計者の労力の直接的な軽減は期待できない. しかしながら,設計者とアシスタントシステムとの対話的設計過程において, 異なる視点からの設計候補の提示は,設計者に多くの意思決定の機会を与えることで, たとえその候補が採用されなくとも, 設計者の漠然としている自らの価値観の明確化や, 設計者による新たな設計への示唆につながることが期待され, 概念設計支援としてのひとつの可能性を示すものである.

本研究は,これらの基本的立場から, 概念設計過程の考察および計算機モデルの提案, 設計支援システムの構築と評価を通じて検証を行い, コンピュータを用いた概念設計支援のための方法論を提出することを 目的とする. 前節で概観したように概念設計では, 設計者による設計候補の生成,評価にあたり設計事例が大きな役割を 果たしていることから,設計支援システムの候補生成,評価においても 設計事例に基づくアプローチをとるものとする. ただし,コンピュータが取扱う設計空間は人間が漠然と取扱っている それに比べ遥かに小さく, 類型的な設計へ設計者を導きがちとなるので, 設計者に対して多様な設計候補を適切に示唆できることが重要となる. これに対しては, 設計者による候補生成にみられる事例解の非定型的な組合せ操作の モデルとして, 遺伝的アルゴリズムにおける遺伝子表現された個体群を設計事例群とし, それらに対する交叉,突然変異などの確率的操作による 新規個体生成を用いることが有効であると考えられる.

本論文では,構造物の概念設計支援を対象に, 対話的なパートナーとして設計者に多くの意思決定の機会を与える 設計支援システムの実現のために, 以下の課題について検討する. まず, デザイン性などの感覚的側面からの競合候補の評価に対しては, 過去の設計事例の感覚的評価に基づく事例知識の獲得と利用について考察する. 設計候補の多様性に対しては, 与えられた設計要求から設計知識により論理的に定まる複数の設計候補をもとに, これらと類似の設計事例を組合せることによる候補生成を考える. ただし,事例データベースは,構造形態の見かけ上の属性ではなく 遺伝子的表現された設計事例を保持することで, 構造形態の異なるものについても組合せ的操作の対象とし, 多様な候補生成と 設計空間とを扱うことの可能な遺伝子的事例ベースの構築を試みる. また,システムによる設計評価値は定性的な意味合いしか持たないことと, 収集される設計事例が限られたものであり, 類型的な設計へ設計者を導きがちとなることを考慮し, 候補提示に遺伝子的事例ベースをもとにした確率的なゆらぎを導入する ことで広い設計空間を設計者の考慮に上せる枠組について考察する. 設計者が個別に持つ主観的価値観, すなわち個性の考慮に対しては, それぞれが単一の価値規準を持つ複数のエージェントの集団により, 適応的ではあるが異なる価値観からの候補提示を可能とする機能について考察する. 概念設計支援システム構築の例には, 実際の設計活動において美観等の感覚的側面への 注意が多く払われている橋梁構造物の2次元スケルトン設計をとりあげ, ケーススタディによって設計アシスタントシステムの評価を行う.

2章では, 概念設計における構造物の感覚的デザイン性などの 主観的にしか取扱えない側面を考慮するために 設計事例に対する感覚的評価を利用した設計支援の枠組を提案する. まず,設計者による過去の設計事例に対する感覚的評価を 数量化手法を用いて取扱い, 構造形態と感覚的評価との帰納的な関連付けを事例知識として 整理・獲得するための手法を述べる. 次に概念設計段階にみられる設計候補の多くの競合に対して, ルールベース推論に基づき競合候補を生成し, それらの評価を獲得された事例知識によって行い 設計者へ提示するための手法を説明する. また, アーチ橋構造物を例にとり設計支援システムの構築を試み, 客観的な設計規準に加え主観的な感覚的デザイン性に 基づく設計要求を考慮する候補提示のケーススタディを行う.

3章では, 概念設計で必要となる多様な設計候補に比して, 実際に実現,収集され得る設計事例が少数のサンプル集団に過ぎないことを考慮し, 設計対象物を遺伝子的に表現することで 広い設計空間を表す枠組を考える. まず, 設計対象物である構造物の表現を考察し, 見かけ上の構造形態を属性ととらえた単純な属性値集合として扱うのではなく, 遺伝的アルゴリズムにおける表現型ととらえる. 事例ベースでは,遺伝子型として抽象的に個体表現された設計事例を用い, 構造形態の異なる事例に対しても構造機能性の類似を測ることが可能となる表現を考える. 次に,設計事例群の特徴として事例頻度に注目し, 頻度分布が事例群に類似の個体群を生成する手法を提案する. この個体群はサンプル集団である事例群の特徴を 表すだけでなく,組合せ的な遺伝的操作によって多様な設計可能性を表現する ための遺伝子プールとして取扱うことを可能とする. また,橋梁構造物の設計事例を収集し, これらを表現する遺伝子的事例ベース個体群を生成することで 多様な候補生成に対するケーススタディを行う.

4章では, 概念設計における設計候補の多様性に注目し, 知識ベース推論における候補提示のゆらぎと 設計者の意思決定過程のゆらぎについて考察を行う. 感覚的側面からの評価をはじめとして概念設計での競合候補の評価は, 定量的に行うことが困難であるので, その評価値を相対的な指標ととらえ,確率的な候補提示を試みる. 設計者へは, 評価値の低い候補であっても確率的に提示される 可能性を持ち, 多くの候補が提示されると考えられる. システム構築のケーススタディは,アーチ橋構造物の概念設計支援を例にとり行う. また第3章に示した遺伝子的事例ベースの考え方に基づき, 設計事例をいったん遺伝子型として抽象的に表現しておくことで, みかけ上大きく異なるような構造形態についても設計候補として提示され得る 枠組を示す. これにより 知識に基づく推論の流れのみからは見いだせないが, 構造機能性は類似している多様な設計候補を提示可能とし, 知識に基づく推論の本質的な決定性を緩和することを目指す. システムの構築例には橋梁構造物の概念設計をとりあげる.

5章では, 概念設計における設計者の主観的意思決定と動的側面に注目し, 設計者毎の個性を 考慮する設計支援の枠組を提案する. ここでは,設計者への候補提示によって支援を図る 設計アシスタントシステムが, 設計支援の積重ねとに応じて,候補提示の傾向を個々の設計者に 適応していく枠組を提案する. アシスタントシステムには, それぞれが独自の価値規準のもとに 設計候補の評価を遺伝子的事例ベースに表現する 複数の候補評価エージェントを持たせる. エージェントはシステムの持つ価値観によって選ばれ, それの持つ価値基準のもとに推薦する候補が設計者に提示される. この候補に対する設計者の採否の意思決定をもとに, アシスタントシステムは自らの価値観を更新していき, 設計者への個性化を図る. ただし,エージェントによる候補評価の表現,候補提示を確率的に行うことで, 個別の設計者に個性化されながらも多様な候補提示を可能と考えられる. システムの構築例には橋梁構造物の概念設計をとりあげる.

最後に第6章で,本論を総括する.


平成12年3月1日