概念設計をコンピュータにより支援するには, 工学理論などの客観的に支持され得る理論的側面に加え, 美観等の感覚的側面に代表される設計者個別の 主観的価値観の考慮が不可欠となる. このような状況においては, これまでに採用されてきた設計事例が有用なソースとなりうる. しかしながら,事例を個別的にとらえた固定的な設計対象物の表現は, 設計候補に求められる多様性を取扱うためには制約的にはたらくことになる. また,概念設計支援においては, 実現が可能かどうかは厳密には問わず, 不確かな情報も含む多くの設計案を生成し, 設計者に多くの情報判断・取捨選択の機会を与える役割がコンピュータに求められる. すなわち, 設計過程をブラックボックスとしてコントロールする設計システムではなく, 人間の設計者の対話的なパートナーとしてふるまい, 意思決定の主体を設計者におく設計アシスタントの 枠組を設計支援システムはとらねばならない. 本論文では, 例として橋梁構造物の2次元スケルトン設計をとりあげ, 設計者を主体とし多くの意思決定の機会を与える 設計アシスタントシステムを基本的枠組とした, 事例に基づく概念設計支援システムについて検討を行った.
構造物の感覚的デザイン性などの 主観的にしか取扱えない側面を取扱うために第2章では 設計事例に対する感覚的評価を利用した設計支援の枠組を示した. まず,過去の設計事例に対する感覚的評価の取扱いについて述べ, 構造形態と感覚的評価との関連を事例知識として 整理するための手法を提案した. 次に, 客観的な構造工学理論などに基づく知識ベース推論により競合候補を生成し, それらに対して感覚的側面に関する評価を 事例知識によって行う構造・感性設計支援を示した. アーチ橋構造物を例にとるケーススタディによって, システムの候補提示に設計者の選好を反映できること, および感覚的デザイン性からの要求を反映する設計候補の提示が行われることを 確認し, 提案した事例に基づく手法が利用可能なことを示した.
事例に基づく設計支援において, 収集される設計事例は 概念設計にみられる多様な設計可能性に比して 少数のサンプル集団に過ぎないことを考慮した 第3章では, 設計対象物を遺伝子的に表現することで 広い設計空間を表す枠組を示した. まず, 設計対象物とする構造物の表現を考察し, 見かけ上の構造形態を属性ととらえて扱うのではなく, 遺伝的アルゴリズムにおける表現型ととらえる手法を提案した. 橋梁構造物を例にとったケーススタディでは, 構造機能が類似の属性を同じ遺伝子座から発現されるとすることで, 構造形態が一見異なる事例に対しても類似度を測ることが可能となる事を 確認した. この事によって, 設計事例表現の固定的な枠組を越えた広い設計空間の取扱いが可能となり, 概念設計の段階で設計者に必要とされる 問題領域を越えて多様な事例を検索する能力を補助することが可能と なると考えられる. 次に,設計事例群の特徴として事例頻度に注目し, 個体群中の頻度分布を事例群に類似とする遺伝子的事例ベースの構築を試みた. 事例ベース個体群に含まれる個体には 設計事例の特徴が多重的に保持されており, サンプル集団である事例群の特徴を表すだけでなく, 組合せ的な遺伝的操作によって多様な広い設計空間を表現していることを 確認した. ここで提案した手法は, 事例に基づく設計の基本的機能を持ちながらも, 組合せ的に設計候補を生成することとなるので, 過去の設計事例に必ずしも支配されない多様な設計候補の提示を可能と する.
設計候補の多様性の設計者への提示をとりあげた第4章では, 知識ベース推論における候補提示のゆらぎと 設計者の意思決定過程のゆらぎについて考察を行った. 概念設計における競合候補の評価は,感覚的側面からの評価をはじめ 事例に基づくことが主となるので定量的に行うことが困難となる. ここでは,まず競合候補の評価値を相対的な指標ととらえ, 設計者への候補提示に確率的に反映させる手法を提案した. アーチ橋構造物を例にとったケーススタディでは, 評価値の低い候補であっても設計者に提示され得る事を確認した. また,第3章に示した遺伝子的事例ベース個体群を利用し, 知識ベース推論過程にみられる中間設計候補と 事例個体との類似に基づく設計候補提示の枠組を提案した. 設計候補と事例との表現には, 構造機能性の類似を反映する遺伝子的表現を用いているので, 知識に基づく推論の流れのみからは見いだせないような 候補の提示も可能となることを確認した. ここで示したゆらぎを含む候補提示は, 必ずしも設計者の負担の軽減となるものではないが, 概念設計では,不確かな情報も含む多くの設計案を 先見的に切捨てることなく, 設計者に多くの情報判断・取捨選択の機会を与えることが重要との 認識に基づくものである.
設計者の主観的意思決定と動的側面に注目した第5章では, それぞれが独自の価値規準のもとに競合候補の評価を行う 複数のエージェントによって設計アシスタントシステムを 構成することで,設計者個別の価値観を考慮する設計支援の枠組を示した. 設計過程においてシステムは, 提示候補に対する設計者の採否の意思決定に基づき 自らの価値観を更新することで, 候補提示の傾向を個別の設計者に適応していく. 価値観の異なる設計者を想定した設計支援のケーススタディでは, 設計者個別の選好が現われる候補提示が確認された. また, 各エージェントの候補推薦は,第4章と同様に 遺伝子的事例ベースとして表わされた個体群をもとに, 大域的過程のなかで設計評価を表現しているので, システムにとって初めての状況においても 妥当な候補評価が可能となることが分った. ここで示した手法によって, 個別設計者への適応的な機能を持つことで設計者の負担を軽減し, 遺伝的操作による手法を基本とした候補提示によって, 組合せ的に多様な可能性を設計者へ示唆する事が可能となると考えられる.
以上の結果より, 本論文で提案した事例に基づく概念設計支援システムの考え方が, 概念設計支援において必要とされる, 美観等の感覚的側面の取扱い, 広い設計空間における多様な設計候補の取扱い, 設計者に対する多様な設計候補の示唆, 設計者個別の主観的価値観の取扱いに対して 有効性を持つことが確認された. ここで示した設計者指向の支援のあり方とそれを支える手法は, 人間の発想を含む創造的活動に対する コンピュータ利用の可能性を探るための一段階をなすものである.