設計者が新たな要求に対する設計を行う場合, 全く白紙の状態から新たな設計解を創り出すのではなく, 過去に実現された設計事例を利用し, その寸法等の一部の修正によって 設計解を導き出す類似設計がしばしば行われる[赤木 1991]. また,概念設計段階では設計者による事例解の無意識的な検索によって, たいていの場合には少しの修正のみで殆どの設計制約を満たす設計解を得ている [Ramirez 1996]. すなわち, 設計は多くの場合,過去の設計事例,経験が指針となっている. 特に機械設計や構造設計では, VLSIなどの論理回路の設計と比較して, 機能と物理的要素間の対応が明確ではなく, ルールとして抽象化された論理に基づく推論だけでなく 設計者の経験に基づく直感的な判断も大きな役割を果たしている [Navinchandra et al. 1991].
また, 知識ベースシステムの構築において問題となる知識獲得に対して, 設計者からルールを獲得するよりは, 具体的に実現されている設計事例を集める方が容易であるので, 多数の事例から帰納的に知識を抽出することが 提案されている[McLaughlin and Gero 1987; 辻野, 西田 1995]. 同様の観点から, データベースに過去の設計事例を蓄えておき, 与えられた設計要求に類似した設計事例を検索するアプローチも みられる[Maher 1987]. Maherは,検索された類似事例の件数をその形式の設計候補の優先度として表し, 類似の形式のうちで過去によく実現されたものほど 高く推薦するアプローチを示している. 設計事例の再利用については, 典型的な事例を蓄え, 未知の問題を解決するときにはその問題に類似した既知の問題を検索し, その既知の問題に対する解事例を変形することによって当該問題の解を得ようと する事例ベース推論[奥田,山崎 1990]の利用も多く見られる [Pu and Reschberger 1991; Pu 1993; Maher and Zhang 1993; Maher et al. 1997]. これらの事例に基づく設計は, 人間が設計を学習する際には事例が教えられていることからみても 自然なアプローチであると考えられる[Domeshek 1992]. また,前項に述べたように, 美観等の感覚的側面に関する設計者の主観的価値観は 陽に表すことが困難であり, 設計者の具体的な意思決定の結果である設計事例に現われてくるので, この様な規準の取扱いに対しても 設計事例を用いることが有効と考えられる [Reich 1993].
事例ベース推論は, 知識をルールとして表現せずに問題解決を図ろうとすることが 大きな特徴であるが, 設計問題では, 解事例を現問題へ適合するように変形する過程において 必然的に知識が必要となる[寺野 1994]. また,経験を積んだ設計者ならば, ルールに基づく抽象的な推論過程のみによって設計を行うことはなく, 以前の設計解を全て検索するようなこともしない[Howard et al. 1989]. したがって, 設計問題に対する事例は, ルールベース推論と補完的に利用されるべきであるとの 考えは重要である [Golding and Rosenbloom 1991; Bardasz and Zeid 1993]. 特に,工学的設計では設計者の発見的知識や経験則だけではなく, 領域理論に基づく客観的な深い知識も重要となるので, 設計支援システムには 客観的に記述しうるルールに基づく推論と 事例に基づく推論とのバランスが重要となる.
一般に事例に基づく類似設計的アプローチは, 過去に実現された設計事例が新たな設計に強く影響を及ぼすために, シンセシスが主となる概念設計では制約的にはたらくことが多い. しかしながら,過去の設計事例は,設計情報の再利用という観点だけでなく, 新たなアイデアの糧としても有用である[Bennett 1996; 田浦 1997]. 設計過程を観察すると, 新規設計であっても全く新たな機械要素や構造を用いることはまずなく, 既存の要素の組合せ方によって新規性が 現れてくると考えられている[Hua 1992; 永田,畑村 1993; Verstijnen and Hennessey 1998].
概念設計の段階では,設計者は非常に広い設計空間を考慮しており, この空間中で設計対象物を表現するのに必要な属性は 問題領域毎に異なる. 設計行為の認知心理学的モデルからは, 概念設計では,類推が大きな役割を果たしていることが 明らかとなっており[Madanshetty 1995; Casakin and Goldschmidt 1999], 人間の設計者は, 一見異なっているものに潜んでいる類似性を判断する能力[野口 1994]や, 問題領域を越えて事例を検索できる能力[山口ら 1989]を 備えている. したがって,一般的な事例ベース設計のアプローチ, 設計事例を 与えられた設計仕様とそれに対して実現された設計事例の属性値集合とによって 固定的に表現することは, 概念設計において取扱うべき事例の比較が困難となるために十分には機能しない. これに対しては, 設計事例に現れている見かけ上の属性をそのまま記録するのではなく, 機能空間などに抽象的な記号を用いて表現し, 写像によって設計対象物を表すことで 固定的な設計対象物表現の枠組を越え得ること [Welch and Dixon 1994; Gorti and Sriram 1996; Hauser and Scherer 1997] が指摘されている. たとえば, WangとGero (1997) は, 橋梁構造物の概念設計を例にとり, 最も最近のいくつかの類似の設計事例を用いて, 新たな設計状況において最も最近の事例ほど 古いものよりも強い影響を与えるようにした 時系列に基づく設計解の予測を試みている. 設計事例の時系列に隠されている 事例知識は,問題領域の異なる設計事例の経験的な写像や, 組合せと同様の役割を果たすことが示されている.